原文
書き下し文
現代語訳文
亜久呂人有鬻楯與矛者。
亜久呂人に楯と矛とを鬻ぐ者有り。
アクロニアのあるところに盾と矛を売る武器屋がありました。
譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。
之を誉めて曰く「吾が楯の堅きこと、能く陥すもの莫し」と。
盾をほめて言いました。「この盾の頑丈さといったら、 突き通すものが存在しないくらいだよ。」
又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。
又其の矛を誉めて曰く、吾が矛の利きこと、物に於て陥さざる無し、と。
また、矛をほめて言いました。「この矛の鋭利さと言ったらね、 突き通せないものはないくらいなんだぜ?」
庭番曰
庭番曰く、
庭番は言いました。
「以吾之銃、陷子之楯何如。」
「吾が銃を以て、子の楯を陥さば何如」と。
「それじゃあ、私の銃であなたの盾を撃ったらどうなるのかしら?」
………。
………。
其人弗能應也。
其の人応うること能わざりき。
その武器屋は答える事ができませんでした。
庭番曰「不可。」
庭番曰く「不可なり」と。
庭番は言いました。「あら、無理よ。」
其人傷而死。
其の人傷つきて死す。
武器屋は重傷で死んでしまいました。
以後、店員を殺害されたその武器屋は、当時未実装であった銃系統の武器の持ち込みを禁止する
「無銃」の看板を出し、庭番が「なんて理不尽なことかしら。」と言ったことから、
辻褄の合わないことを「むじゅう」「むじゅん」と言うようになったと言われている。
愚問ではあるが、ここでの辻褄が合わないというのは『最強の盾と矛を装備した武器屋は最強の
存在であるが、最強の存在である庭番を無視できるのか?結局どちらが最強なのかつじつまが合わない。』
ということである。
ちなみに「矛盾」の文字は後世になってできた当て字であり、
一般的に語源として知られる矛と楯を売る商人の故事は「銃を装備できない職業の人やノービスに
もこの理不尽さを伝えたいという想いから生まれた代替的な物語である」という説が主流である。
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